お久しぶりです。
新しい仕事は今のところ順調で安定した生活を送っております。ただ、この頃プライベートの方が大荒れでここ二日の私は虫の息である。
そんなわけで疲れているのだが気晴らしにスティール・ボールラン最新刊を読む。衝撃の展開が描かれている。俺だけの時間だぜ!!ネタバレになってしまってごめんなさい。わからない人はそのままで。
遺体を集めたら幸福になる。この世のあらゆる幸福を支配するパワーが手に入る。いたいって何なんだ?そして、そんな凄まじ幸福っていったい・・・。ジョジョの登場人物は幸福を追い求めている。特にボスが意外と幸福を求めているのが面白い。昔はそれを見てずいぶんと通俗的な目的なんだなと感じていた。ボスの求めるものは人間的な何かではなくてもっと悪魔的な何かであって欲しいという少年の思いである。だが、著者はジョジョを人間讃歌と位置づけて描いているわけで、その観点からしてもボスが幸福を追い求めるのはまったくもって自然であり、好感が持てる。
退廃文学の影響が強くあったので、清澄な作品に対する拒絶感が強くあった。だが、この頃そうでもなくなってきた。むしろ退廃の影は私の周囲から離れていっているように思える。
もし、作品を何か書くとすれば延々と浄福なる場面が自由連想のように連なっている作品を書きたい。幸福なる日常をスタイリッシュにダイナミックに書く。たまにそんなのに憧れます。
夏目漱石が午前は作品を書き、午後は愉悦を貪る。芸術とはそこまでいかなければ嘘であると何かで書いていた。この心情に長らく反発していたのだが、やはり作品を書くのであればこういった境地を目指したい。
こういうことを考えるのは少し気持ちが疲れているのかもしれない。午後の愉悦、浄福なる日常を望む。
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